開業してからの現実

介護タクシーの勝ち筋は、安さでも営業量でもなかった — 救急隊の経験が、私にしか運べない依頼を連れてきた

価格を見直しても、まだ足りませんでした。安さで消耗するのをやめ、適正だと思える料金に置き直した。それでも、生活していけるだけの依頼が安定して来るところまでは届かなかったのです。市場のほうも見極めました。自分が立っている場所では、移動に困った人を支える受け皿がすでに幾重にもあって、後発の私が入る隙間は小さい——そう腑に落ちもした。

では、私はいったいどこで戦えるのか。価格でも、配る量でもないとしたら、何が残るのか。半年の空振りの果てに残ったのは、その問いでした。この記事は、その問いに自分なりの答えが見えてきたところまでの話です。書いているのは、関東で介護タクシーを営む現役の個人事業主です。

量でも価格でもない、と分かった先で

ここまでで、二つのことがはっきりしていました。ひとつは、安くすれば選ばれるわけではないということ。もうひとつは、人が多い場所だからといって依頼が多いわけではないということ。料金を直し、市場を見極めても、まだ生存できる線には届いていない。

だとすれば、残る問いはひとつでした。「自分にしかできないことは何か」。誰がやっても同じ送迎なら、結局は価格や数の勝負に引き戻されてしまう。そこから抜け出す道があるとすれば、それは「自分だからこそ受けられる仕事」の側にしかないのではないか——。そう考えるようになりました。

受け皿のどれもが、扱いにくい場面

先に書いたとおり、私の営業エリアには、移動に困った人を支える仕組みがいくつも用意されています。行政の支援も、地域の福祉的な運送も、急なときの救急の体制も。多くの場面は、それらのどれかが受け止めてくれます。

ただ、配車を重ねるうちに気づいたことがありました。その受け皿のどれもが、扱いにくそうにする場面がある、ということです。

たとえば、体の状態が重く、移動の最中にも医療的な配慮が要るような人の送り迎え。点滴やたんの吸引といった処置が道中で必要になりうるケース。寝たきりに近い状態で、病院から自宅へ、あるいは別の病院へ移らなければならない人の搬送。こうした移動は、ふつうのタクシーでは難しいのはもちろん、行政の移動支援や福祉的な運送でも「うちでは受けきれない」となりやすい。かといって、容体が差し迫っているわけではないので、救急車を呼ぶ話でもない。どの受け皿も、少しずつ手が届きにくい——そういう移動が、確かにあるのです。

依頼が来ないと嘆いていた半年のあいだも、ごくたまに、こういう移動の相談は舞い込んでいました。そのときの手応えが、ほかの依頼とは少し違うように感じていたのです。

自分の経歴が、ここで武器になった

そして気づきました。その「どの受け皿も扱いにくい移動」は、私にとっては、むしろ慣れた領域だったのです。

私は救急隊として、長く現場に出ていました。容体の変わりやすい人をどう運ぶか、移動の最中に何に気を配るか、急なことが起きたときにどう動くか——それを体で覚えてきた人間です。救急救命士の資格も、いまも持っています。医療的な配慮が要る移動、処置を伴いうる転院、寝たきりの人の退院搬送。世間では引き受け手の少ない、難しいとされる移動こそ、私がいちばん落ち着いて向き合える仕事でした。

これは、価格や量とはまるで違う土俵だと感じました。誰にでもできる仕事ではないからこそ、安さで比べられない。「少しでも安いところへ」と移っていく類いの依頼ではなく、「この人になら任せられる」と選んでもらえる依頼。価格競争に巻き込まれていたあの消耗とは、性質がまるで違う。自分がずっと立っていた現場の経験が、介護タクシーという仕事のなかで、ようやく武器になる場所を見つけた——そんなふうに感じました。

同じ道を、先に行った人がいた

そう思えたのには、ひとつ支えになった話があります。

私と同じように救命士の資格を持つ後輩が、先にこの領域で動き出していて、確かな手応えを得ているらしい、という話を耳にしていたのです。詳しい中身をここに書くことはしませんが、医療的な配慮が要る移動という土俵には、進んでいくだけの感触が確かにあるようでした。少なくとも、価格と量だけで消耗していた半年の私が見ていた景色とは、別の景色がそこにはあるらしい。

その存在は、私にとって小さな希望でした。自分がたどり着きかけている方向は、たぶん間違っていない——そう思わせてくれる、控えめな道しるべのようなものだったのです。

半年の空振りの果てに見えたもの

価格でもなく、配る量でもなく、自分の強みが活きる領域があった。半年、安さで消耗し、配り尽くして空振り続けた末に、私がようやくたどり着いたのは、そういう当たり前のような、けれど自分で歩いてみないと分からなかった結論でした。

最初から見えていたわけではありません。安くすれば選ばれると思い、たくさん配れば届くと思い、そのどちらにも裏切られて、ようやく「自分にしかできないことは何か」という問いの前に立てた。遠回りでした。でも、その遠回りがなければ、自分の経歴がここで武器になることにも気づけなかったのだと思います。

まだ、生活が安定したわけではありません。これからどう形にしていくかは、これからの話です。それでも、どこで戦えばいいのか分からなかった半年前とは、見えている景色が変わりました。価格や量に振り回されるのではなく、自分が長く立ってきた場所の経験を頼りに進めばいい——半年の空振りの果てに、その手がかりだけは、確かに手元に残ったのです。