開業してからの現実

営業しても無音だった半年 — 需要はあるのに繋がらない理由

介護タクシーを始めて半年。営業はしているのに、電話はほとんど鳴りません。無音の日が続くと、だんだん分からなくなってきます。そもそも需要がないのか、それとも自分のやり方が悪いだけなのか。この半年でいちばんこたえたのは、忙しさでも体力でもなく、「これでいいのか分からない」という、出口の見えなさでした。手応えがあれば、しんどくても進めます。でも、何も返ってこないと、進んでいるのかどうかすら分からない。

書いているのは、関東で介護タクシーを営む現役の個人事業主です。

需要はある、と思える根拠

無音だからといって、需要がないわけではない。それは、はっきり感じています。

ネット経由でたまに来てくださる方は、どなたも本当に移動に困っている、切実な事情を抱えた方ばかりです。「ここしか頼めるところがなくて」とたどり着く。困っている人は、確かにいる。それも軽い気持ちではなく、せっぱつまった形で。

そして、街を走っていれば、同業の介護タクシーを何台も見かけます。モールで待機している車、病院に送迎に来ている車。供給する側も、ちゃんと仕事として成り立っている。需要も供給も、目の前で成立している市場がある。ないのは需要ではなく、その需要と自分との間の、つながりのほうなのです。

ちなみに、この需要の濃淡が地域によってどう変わるかは、別の記事に書いています

「置くだけ」では繋がらなかった

では、その困っている人に、どうやって自分を届けるか。私が考えたのは、彼らが通りそうな場所に、自分の存在を置いておくことでした。

クリニックや薬局に頼んで、パンフレットを置いてもらいました。本当に移動に困っている人なら、こういう場所を通るはずだ——そう考えたのです。体調を崩していれば医療機関にかかるし、薬局にも行く。そこに案内があれば、目に留めてもらえるんじゃないか、と。

でも、そこからの連絡も、ほとんど無音でした。置く場所を一つ増やし、また一つ増やしても、電話は鳴らない。困っている人がいる場所に、確かに自分の情報を置いたはずなのに、つながらない。何かが、根本的にずれているのかもしれない——そう思いはじめました。

無音の隣で、依頼が途切れない人がいる

その「ずれ」を、はっきり突きつけられたことがあります。

同じ時期に介護タクシーを始めた知り合いがいます。その人のところには、依頼が途切れず入っているのです。同じような仕事をして、条件もそう変わらない。なのに、こちらは無音で、あちらは忙しい。正直に言えば、うらやましい気持ちがないと言えば嘘になります。

でも、それ以上に考えさせられました。この差は、いったい何なのか。腕の差だとは思えない。営業の量でもない——むしろ私のほうがパンフは配っているかもしれない。だとすれば、残る違いは一つしかない。その人は、誰かが依頼を繋いでくれる経路に乗っていて、私は乗っていない。差があるとすれば、そこなのだと思いました。

行き着いた仮説 — 需要は、本人でなく紹介で流れている

そこから考えて、ひとつの仮説にたどり着きました。

介護タクシーを本当に必要とする人の多くは、自分で検索して事業者を探したりしないのではないか。体が弱り、気持ちにも余裕のない状態で、「いい介護タクシーはどこか」と自分で調べて選べる人は、ごく一部です。ネット経由で来てくださるのは、その数少ない層なのでしょう。

では、残りの大半の人は、どうやって事業者にたどり着くのか。誰かが繋いでいるのだと思います。ケアマネジャーさん、病院の相談員、施設の方——その人たちが「この方には、この事業者を」と橋渡しをする。需要は、本人が探して流れてくるのではなく、こうした紹介という蛇口を通って流れている

そう考えると、腑に落ちました。困っている本人が見る場所にパンフを置いても繋がらないのは、当然だったのです。置くべきだったのは、困っている人の目に入る場所ではなく、その人を繋いでくれる側の手元だったのかもしれない。

この「繋ぐ側」が依頼をどう動かしているのかは、別の記事で詳しく書いています

蛇口の在り処は見えた。開け方は、まだ探している

半年かかって、無音の理由が、少しだけ見えてきました。

需要がないのではない。自分が、その需要の流れる経路に、まだ乗れていないだけ。問題は「足りない努力」ではなく、「向ける方向」だったのだと思います。

正直に書くと、では紹介の蛇口をどうやって開けるのか——その答えは、まだ持っていません。繋ぐ側の手元に届くには、何をどうすればいいのか。いまも探している最中です。だから、ここで偉そうに「こうすればいい」とは書けません。

それでも、闇雲にパンフを配っていた頃とは、立っている場所が違う気がしています。やみくもに動いて無音に落ち込むのと、無音の理由を構造として理解したうえで次の一手を探すのとでは、同じ「まだ繋がっていない」でも、意味が違う。出口はまだ見えません。でも、どの壁を見上げているのかが分かっただけでも、次にどこを向くかは変わった——いまはそう思っています。